兵庫県内の各地では、さまざまな追悼行事が営まれ、被災地は深い鎮魂の祈りに包まれた。


振り返ってみると、震災体験者(と言っても当地域はあまり被害なし)でしたが、日赤病院の救護員として3回ほど救護活動に参加しました。
当時は、院内に救急車もなく、自家用車で救護に行っていました。今は、救急車、偵察車、荷物運搬車、人運搬車と4台体制で、エアーテント等結構な装備が準備できました。今なら勤務時間内に出動命令がかかると1時間以内に現場へ出発できるものと思います。こういうことが出来るのも病院経営が順調にいっているから?ではないか?と思う今日この頃です。
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- 2008/01/17(木) |
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